初めての海外旅行⑥

イタリアを昼過ぎに発って二カ国目はイギリスに。
添乗員に連れられてチェックインしたホテルは
歴史と伝統だけが取り柄の何とも古めかしいホテル。

イタリアで滞在したホテルはアメリカのチェーン系列のホテルで
近代的できれいだっただけにギャップにちょっと複雑・・・
何より困ったのはエレベーターが漏電でもしてるのか、
ボタンを押す度にビリっと電気が走る事。

でも気分を取り直してとにかく街に夕食に。
イタリアでの三日間の教訓から、レストランにはケチるまいと決めていたので、
贅沢といえば、やっぱり肉!ということで、ステーキハウスに。

テーブルに座ってメニューを広げると
読める!!

イタリアではローマ字は読めても意味が全く解らなかったけど、
英語のメニューは辛うじて、解読可能な文字がチラホラ。
中・高・大学10年間の英語教育は無駄ではなかった?

安堵の気持ちで、迷うことなく「BEEF」の文字が入ったステーキをオーダー
でも大きさがハーフ・1ポンドとあるけど・・・1ポンドって何グラム?
まあイタリアで節約したからここは思い切って1ポンドで。

しばらく待つと、今まで見たことの無いような分厚いステーキが(゚д゚)
「いただきます」とナイフを入れると、
??? ナイフが入らない。
向かいのD君を見ると、同様に素人のバイオリンのようにナイフでギコギコ。

ナイフが悪いのか?それとも・・・
渾身の力で切り取って何とか口に入れると、

固い! か・か・噛みきれねぇー
しかも、味が無い。
おもわずテーブルに供えつけのソースをかけるが。。。。
一口で噛み切れないので何度も噛んでいると、直ぐにソースの味はなくなって・・・

一口大に細切れにしても固くて飲み込めない。

結局、半分以上残すハメに。
その夜、イタリアからの過酷な食事に耐えかねたD君はとうとう寝込んでしまうことに。

やむなく翌日は一人で電車に乗ってスコットランドに。
今度は驚くほどすんなりチケットを買って
いざエジンバラに

初めての異国の地での一人ぼっちに寂しさと心細さを感じながらも
車窓の景色と、車内でのイチゴジャムがたっぷりのったスコーンと紅茶に
エジンバラにつく頃にはすっかり回復。

足取り軽くエジンバラ城に向かうと、なんと休館(T_T)
それでもめげずに市内観光し、夜景も満喫して寝台列車でD君の待つロンドンに。

翌日、ホテルに戻るとD君もすっかり回復。
聞けば、心配した添乗員に事情を話すと中華街に案内され、
数日ぶりにまともな食事を口にすることができたらしい。

その時の添乗員曰く、「ロンドンで美味しい物を食べれるのは中華街だけ」とのこと

そういえばイギリス料理ってあまり聞かないもんね。
その後、ロンドンでは中華ばっかり食べることに。

翌日、最後のフランスに入国。
フランスでは今までの経験のおかげか順調に予定をこなし、
市内観光、ショッピングに、TGVでスイスまで足を伸ばして
都合四カ国、14日間の欧州旅行を終えました。

帰りの飛行機で二週間ぶりに口にした味噌汁の美味しかったこと。
三杯もおかわりしちゃった。

色々失敗もあったけど過ぎてみれば楽しい欧州見聞録でした。

初めての海外旅行⑤

さて、生まれて初めての海外旅行。
全てが新鮮で戸惑うことばかりの中で一番困ったのは食事。
それまでは基本的に和食中心で洋食はファミレスぐらい。
まだイタ飯など流行る前で、パスタと云えばミートとナポリタンぐらいしか知らなかったのに、最初に訪れたのはイタリア。

当時のイタリアの為替レートは10倍ぐらい。1000円が10000リラぐらいで金銭感覚が完全に麻痺。

二週間の長旅なのでキャッシュが無くなったら大変と、最初に食べたのはレストランと言うよりは大衆食堂。
当然メニューなど解るはずも無いけど、メニューの一番隅に「ライス」の綴。
ライスの綴の前に色々書いてるけど、取り敢えず米なら食えるはずと注文したら出てきたのは、真っ赤なスープのごった煮?らしきもの。
当然リゾットなど知るわけもなく、毒々しい真っ赤なスープに浮かぶ米と独特の強い臭いに思わず吐き気が!

二人で固まっていると、店員が何やら話しかけてくる。

当然意味はわからないので適当に返事をすると、向かいのD君の皿の上から粉チーズをかけだした((((;゚Д゚)))))))

またこのチーズの臭いも強烈で呆然としていると、店員はサービス過剰にふりかける。
D君の皿は真っ赤なスープが完全に隠れるようにチーズの山がこんもりと。

それを見た私は思わず皿を手で覆い難を逃れたのでだけど
それでも目の前のチーズの臭いに食欲を奪われほとんど残す破目に。
D君の方はというと、一口食べただけでトイレに駆け込む始末。

この最初の経験がトラウマとなり
その後しばらくトマトソースとチーズに吐き気を催す程なのに
その後も一か八かで注文すると不思議なほどにトマトソースかチーズばかり当たる。
結局イタリアで過ごした三日間でまともに口にしたのは、ホテルの朝食のパンぐらいという有様(T_T)

もう一つ、イタリアでよく口にしたのはエスプレッソ。

イタリアで驚いたのは自動販売機が全く無いこと。
勿論コンビニなども無くペットボトルもまだない頃。
喉が渇くとどこかのカフェに入るしかなかったころのだが、
そこで一番安かったのがエスプレッソで当時一杯50円ぐらい。
デミタスカップで直ぐに飲めるので一日10杯ぐらい飲んでたように思う。
(おかげで今でもエスプレッソを愛飲しています。)

そんなこんなで、イタリア三日目の夜、
明日はイギリスに移動ということで、財布の中を確認すると、
残金が二人で120,000リラほど
これって日本円に換算すると、12000円ぐらい。

確かイタリアに入国したとき二人で10000円ずつ出して両替したので、

えっ、三日間で8000円しか使ってないじゃん!

ポンペイへの電車代はカードで支払ったとはいえ何と言う節約旅行!
もう少し、贅沢したらまともな物が食えたのではと思っても後の祭り。

色々悔いの残るイタリアだった。

初めての海外旅行④

苦労の末切符の変更&払い戻しを完了し
翌日2月とは思えない陽気の中、昨日の二人組みと一緒にポンペイにやってきた。

ブログ22

思ったよりずっとローカルな雰囲気の駅を降り、
先日行ったローマのコロッセオとは対照的に人影まばらな遺跡に入ると生々しい姿に感動。
雰囲気に浸っていると警備のおじさんが何故かずっとついて来る。

そんなに監視しなくてもちゃんとマナーを守って見学するのにと思っていると
ただついて来るだけじゃなく、そのうち各場所で解説らしきものを話すように。
当然何を言っているのかチンプンカンプンな様子でいると
さらにエスカレートして身振り手振りのジェスチャーまで入れての熱の入った解説に。
挙句の果てに次はこっちについて来いと手招きで先導され完全にガイドモードに。
この時我々の頭の中でローマ空港についた時の添乗員の諸注意が蘇った。

「イタリアではスリとジプシーの子供の物貰い
そして押しかけガイドに気をつけてください。」

しまった!

これこそ押しかけガイドそのものじゃん。

気づいたときには時遅し、どうにも断れない状況に。
仕方なく覚悟を決めて導かれるままに遺跡を見学。

ブログ20 有名な娼婦の館の壁画(#^.^#)

でも警備のおじさんが案内してくれるので「立ち入り禁止」(これぐらいはさすがに解る)の中も入れてくれ
それなりに楽しく見てまわりいよいよ出口。

4人で相談し、とりあえず一人10000リラ(当時のレートで1000円ぐらい)出し合っておじさんに渡そうとすると
手を横に振ってまさかのいらないのしぐさ!

えっ!全くの善意?

まさかの展開に戸惑っていると、さらにおじさんの口からゆっくりした片言で信じられない言葉が。

「子供からお金はもらえないよ」
「ジュニアハイ(中学校)はもう春休みかい?」
「君たちは偉いね。ローティーンだけでこんな遠くまで来るなんて。」


こ・・こども?!  確かにチャイルドって言った(゚д゚)
ジュニアハイ!  さらにローティーン・・・・
とっくに20歳過ぎてんだけど。


因みに一番小柄な(身長160cm)私の連れは去り際に頭をなでられてました(T_T)

余計な出費は助かったけど複雑な気持ちでポンペイを後にして、せっかくなのでナポリで途中下車


市街地をぶらついているといきなり空からごみの山が!
見上げると高層アパートの窓からおばさんが普通にごみを捨てている(°_°)

どうなってるの?イタリア。
カルチャーショックに打ちひしがれながら駅に戻ると、50mほど先に同年代の日本人らしき人影が。
駅前で地図らしきものを広げている彼らと目が合うと
「すいませーん」と大声で走ってきた。

見ず知らずとはいえ、ちょっと落ち込んでいたときに会った同胞に妙な喜びを感じながら、
ポンペイの遺跡までの道ならバッチリ案内できるよと笑顔で待ち構えていると・・・

近づくにつれ彼らの歩みはゆっくりとなり、最初の笑顔も真顔に変わっていき
5mぐらいのところで完全に止まると妙な空気の中、出た言葉が

「Can you speak Japanese?」
???
一瞬意味が解らず戸惑っている私の横で、私以上に喜びを感じていたD君は
あまりの嬉しさに思わず「Oh イーエースー」と調子のいい返事。

その返事を聞くや否や彼らは「Sorry」の一言とともに背を向けた。
足早に遠ざかりながら聞こえてくる会話は
「ばか、日本人じゃないよ。フィリピンか東南アジア系だよ。」
「中国系かも?」


確かに冬だけどスキー焼けして顔は黒いよ。
天気が良かったから二人とも真っ黒なサングラスもかけてるよ。
窓から落ちてきたごみにちょっと薄汚れてはいるけど・・・
さっき「すいませーん」の呼びかけに「はーい」って返事したよね。
それなのに・・・・

イタリア人には子供に思われ、同胞には中国人に間違われ、
アイデンティティが崩れそうな一日だった。

初めての海外旅行③

目出度く切符を買い終えて一息つこうとひとまず駅の近くのカフェに。
くつろいでいると同じツアーのちょっとチャライ二人組が合流。
奇遇なことに彼らも明日はポンペイに行くので、切符を買いに行ってたらしい。
そこで先ほどの切符を手に入れるまでのドタバタを話すと、
「僕たちなんて五分で買えちゃいましたよ。」と大笑い。

「えっ!見かけによらずイタリア語がペラペラ?」
と驚くと一言も話さずいけたとのこと???
どうやったか聞くと用意してたポンペイのパンフレットと二人分を現す指2本でいけちゃったらしい。
単語と文法に注意して、辞書とガイドブックを交互に見ながら奮闘した先ほどの苦労は何だったのか!
一気に疲れを感じたその時、苦労して買った我々のチケットを見ていた彼らから追い討ちの言葉が

「何かこのチケットの料金高くないですか?」

そう言って取り出した彼らのチケットに書かれている金額と比べると.....
確かに三倍以上金額が違う!!!!

ひょっとして、一等車か特別車でも買わされちゃった?
じっくりと彼らのチケットと見比べて見ると
あれれ??
行き先の綴りがちょっと違う。

彼等のチケットにはPOMPEI SCAVI VILLA DEI MISTERIと印字され、我々のチケットにはPALERMO CENTRALEの文字が! 

何て読むんだ?
少なくともポンペイとは読めない。
イタリアの地図を広げて同じ綴を探すと、

あった!
ポンペイのはるか先シチリア島の彼方に(゚д゚)

何で? 我々の言い方が悪かったのか窓口のおねえちゃんの悪意か、
何がなんだか訳が分からず頭の中が真っ白に。
ただひとつハッキリしていることは、
今一度あの窓口に並んで
今度はただ買うだけじゃなく
このチケットを変更し
差額を払い戻してもらうという
今の我々には到底不可能に思えるミッションが待っていると云うこと。

その後再び窓口で今度はひたすらチェンジポンペイとだけ叫んでいました。

初めての海外旅行②

ちょっとした、勘違いはあったけど、とりあえずテルミニ駅に到着。
さっさと、切符を買って、ショッピングに出かけようと、駅舎内に入って、ビックリ!

運動場ほどの広い構内の四方八方に、競馬場のような窓口が、幾つも並んでいる・・・・
しかも、どの窓口も長蛇の列。
これは、困ったなと思いながら、とりあえず、手近な窓口に並ぶこと、数分。
やっと窓口にたどり着きガイドブックを片手にたどたどしい英語で「明日の、ポンペイまでの往復、二等席を二人分」
と言うが、

全く通じない!

なにぶん始めての海外旅行。
しかも自分たちが習った学校教育の英語は話すよりもとにかく「読み書き」中心
単語のつづり一つ、文法一つ間違わないように覚えた英語は予想通り実際には全く役に立たない。

それでも、こちらの発音が悪いのか、文法を間違えたのかと同じことを繰り返すが・・・
こちらが一言言う間に、向こうは数倍まくし立ててくる。
いや、待ってもう少しゆっくりと。

窓口で手間取ってると後ろの人たちがざわつきだし、これ見よがしに隣の列に並び直す人も。
当時のイタリアは悪名高き国営鉄道。散々やりとりした挙句、手の平で「あっち行け」のポーズ。
それは無いんじゃない。と思いながらも仕切りなおし。
ひとまず、列を離れて、二人で相談。
先ほどの窓口での会話を思い出しながら推測するに、どうやらポンペイ行きはここの窓口ではなく違う窓口に行けと言っていたのでは?という結論に。
確かによく見ると各窓口の上に行き先らしき案内が。

日本のみどりの窓口なら北は北海道から南は九州までどこでも同じ窓口で買えるぞ!
と思いながらとりあえず「ポンペイ」の案内を見つけようと広い構内をぐるっと一回り。

無い!((((;゚Д゚)))))))

見落としたのか
もう一度ぐるっと一回り。

やっぱり無い!

数々の案内の中には時折知っている地名はある。
パリ・ウィーン・ジュネーブ・・・・
やっぱり、各窓口で行き先が違うのは正しいようだ

でもポンペイが無い!

途方にくれていると、先程出会った女性二人組が。
確か彼女たちは英文科卒との話だったはず。
ここは恥を承知で通訳をと近寄っていくと、悲しいかな彼女たちも同じ教育を受けた日本人。
我々よりはるかに多いボキャブラリーと正しい構文をもってしても同じ目に逢っていた。

こちらの話は全く通じず、相手の話す英語も何やらイタリア訛りがひどくてとても聞き取れないらしい。
イタリア訛りって???
日本の関西弁・関東弁のように万国共通の英語にもそれぞれの国の訛りがあることを始めて知りました。
結局、同じように手のひらで追いやられ失礼な応対に怒り心頭のご様子。
これはとても通訳など頼める雰囲気では無さそうなので、お互いの健闘を祈りあい背中を向けることに。

覚悟を決めて片っ端から窓口に並んでは追い返されを続けること2時間。
時には窓口のシャッターをクローズされる仕打ちを受けへたり込んでいると、
構内にあったイタリアの地図を眺めていたDがひらめいた。

あの窓口の案内はその路線の主要駅だけ表示されているんじゃねぇ。

「えっ!ポンペイって主要駅じゃないの?」

世界的に有名な観光地。
てっきり案内表示されていると思い込んでいたけど、目の前の地図には見落としそうな小さな文字。
そして、その隣には遠目にも際立つ「Napoli]の大きな文字が。
ナポリ!お馬鹿な僕たちでも聞いたことのあるイタリア第三の都市。
この文字の窓口があればと最後の望みをかけ、再々度一回り。

あった!ありました。

さっきまでは最初の窓口での屈辱のショックと、「ポンペイ」の文字ばかりに気を取られて気づかなかったけど、幾つもの「Stazione di Napoli Centrale」の文字が・・・
なんでただの「Napoli」じゃないんだよ!ただの「Napoli」なら気づいたのにと自分たちの間抜けさにあきれながら窓口に並び、
今度は何があろうと引き下がらないぞと意を決して窓口のお姉ちゃんに。

こちらの決意が通じたのか驚くほどすんなり買えちゃった。
今までの苦労は何だったの?
すでに時計は3時過ぎ。
結局、切符一つ買うのに二時間も費やしてしまったのだが、
まあこれもいい経験と二人で慰めあって駅を後にした。

でも、こんなのは序の口。まだまだ初めての海外旅行の試練は続くのだった。

初めての海外旅行①

今まで飛行機にも乗ったことの無い身で、初めて日本を飛び出したのは、23の時。
ハワイや中国辺りにしとけばいいのに、何を考えたのか、いきなり欧州三カ国、二週間の旅。
大学時代の友人Dの誘いに、ちょっと飲みに行くような気軽さで、ろくな下調べもなしに出発。

当時はアラスカ経由だったので、アンカレッジ空港で、記念すべき海外第一歩。
内心、かなりどきどきしていたが、空港内は、あちこちに日本語の看板や、片言の日本語が。
見渡す限り、氷の世界をバックに、熱い蕎麦をすすりながら、「海外旅行、楽勝!」と、お気楽モード全開。

アラスカで飛行機を乗り換えて、さらに長い空旅を終え、最初にたどり着いたのは、古の都ローマ。
さすがに初日は団体行動。ローマ市内をバスで観光。バチカン市国に始まりコロッセオやトレビの泉などの有名どころを回る。
食事も昼・夜ともに案内され、充実した一日を終える。

翌日も午前中は、パックに付いていた団体バスで市内観光。
昼食後、いよいよ解散自由行動。
明後日の午後まで自由行動だけど、さあ何から始めよう?

とりあえず、明日、予定しているポンペイまでの、チケットを買って、ショッピングでもするか?と、ひとまず、駅に。

「ところで、どの駅にいけばいいのかな?」

持ってきたガイドマップには、それなりの主要駅らしきものが、あちこちに。
「そりゃローマで一番の駅だから、ローマ駅だろ!」
なるほど、東京なら東京駅・大阪なら大阪駅だもんね。
と、妙に納得して、ローマ駅を探すが、


無い!

「ローマ駅なんて無いけど?」とDに問うと、
「そんなはずは・・・・確かに!」

路上で困っていると、同じツアーだった女性二人組みが通りかかり、「どうしましたか?」と優しいお言葉。
「いや、明日のチケットを買いにローマ駅に行きたいんだけど、場所がわからなくて」と、説明すると、親切な彼女たちは笑いもせず、「それならローマ駅じゃなくてここのテルミニ駅に行けばいいと思いますが・・・」と地図を指差した。

「えっ!ローマ駅じゃなくて、テルミニ駅?」そんなことも知らずにローマに来たのだが・・・・
この時は、日本から持ってきたガイドブックの地図のカタカナ表記が「テルミニ駅」しかないので
何と不親切なガイドブックじゃ・・・と本のせいにして、向かうことに。

このあたりから、ドタバタの珍道中が幕を開けることになった。

海外旅行で寝坊したら

後輩Kとシンガポールに旅行にいった時の話

前日の深夜に放送されたサッカーワールドカップが延長の末、PKサドンデスになり決着がついたのが2時過ぎ。
待ち合わせ時間を考えると睡眠時間は三時間ほど。
まあ、機内でゆっくり寝ればいいかと布団に入って・・・・・

けたたましい電話の音にたたき起こされ、あたりを見るとすっかり明るくなっていた。
電話の相手は後輩K
時計を見るとすでに待ち合わせ時間を20分ほど過ぎている((((;゚Д゚)))))))
待ち合わせ場所までどんなに急いでも車で1時間。

パニックに陥りそうな自分を抑えて、
手早く準備をすませ家を飛び出し後輩Kの元にたどり着いたのは...
待ち合わせからすでに2時間近く過ぎた頃。

お詫びもそこそこに彼の車に乗り込み、空港までのフェリー乗り場についたのは、予定していたフェリーの3本後の便が出航する5分前。

携帯電話など無かった時代。
出航前の僅かな時間に公衆電話でツアー会社の空港連絡先に電話をすると...

「〇〇様、すでに搭乗のご案内が始まってますが今どちらに?
空港内で御迷いでしたら、近くの目印をおっしゃっていただければ、すぐ迎えに伺いますが」
と、女性添乗員のあわてた声が

「・・・実は、今からフェリーに乗り込んで25分後に空港に到着予定なんですが...」
「ひぇぇー」と電話の向こうで気の毒な悲鳴が。

「今から行っても無理ですよね?」と半ばあきらめていると、
電話口の向こうから「とりあえず、空港までお越しください」とのこと。
多大な迷惑をかけているので、とりあえずフェリーに乗り込み
空港に到着したのは、飛行機の出発時間の5分前!

電話で指定された空港入り口の自動扉が開くと
目の前には先ほどの電話の主であろう、若い女性と2名の男性スタッフが。

お詫びの言葉をかける間もなく、男性スタッフが私たち二人のトランクを取り上げると
女性スタッフが「私についてきてください」と駆け出した。

彼女の案内で出国ゲートにたどり着くと
出国審査・手荷物検査・ボディチェックも飛ばして・・・
かわりに空港職員のお姉さんが私たちの胸にマジックで便名が書かれた大きなゼッケンを。

「ここからは私がご案内します。ついてきて下さい。」と彼女も全力疾走!

その後20~30メートルおきに待機している女性スタッフに、かわるがわる前後を挟まれひたすら搭乗口を目指す。

少しでも走るのを緩めようものなら
「お急ぎください!」
と前後からの情け容赦の無い声!

「いやいや、あんた達はしょっちゅう交代してるけど、
僕たちは船着場からずっと走りっぱなしなんですけど」
と思いながらも、迷惑をかけている身としては死に物狂いでついていくしかない(T_T)
息も絶え絶えに何とか機内にすべり込んだが...

機内に乗り込むと今度は客室乗務員のお姉さんが
「後ほどお席にご案内いたしますので、ひとまずこちらにお座りください」
と、入り口脇の彼女の前の席に。

一息ついて離陸を待つだけという時に、機長からダメ押しのアナウンスが!

「当機はただいま離陸準備に遅れが生じており、出発が1時間ほど遅れます」

これって、当然、僕たちのせい?
目の前の客室乗務員の視線が痛い...

それから40分程遅れで離陸の後、本来の席に案内されたけど...
突き刺さる周りの視線に針の筵のような空旅となった(T_T)

「電車なら飛び乗ってすぐ出発できたんですけどね」
とK君の皮肉な慰めがむなしく通り過ぎていった。

牢獄のような空旅を終え、シンガポールに到着しても、まだ安心はできなかった。
というのも、空港を走りまわっていた時の、職員さんの非常な一言。

「お荷物の積み込みが間に合わない場合、次の便での積み込みになることをご容赦ください」

「次の便って何時?」


到着ロビーのターンテーブルで、荷物が出てくるのを、祈る気持ちで待っていると
「あった♪───O(≧∇≦)O────♪」


次の難関は入国審査。

何故なら私たちのパスポートには出国スタンプが無いんだもん。
聞かれたら、どう説明すればいいの?

でも今では考えられない平和な時代。
殆どノーチェックで入国審査を終え、無事シンガポールの土を踏むことが出来たのでした。

迷惑をかけた皆様に合掌。

シャモニー⑧帰路空港編

機内でトランクの受付の話をKにしたとき彼は思ったよりも冷静に

「トランクが無くなったら嫌なんで全然いいですけど」との返事。
しかし、これが全然良くなかった。

行きと同じくドゴール空港で乗り換えて帰国するのだが、
ネットで個人手配をしたので、旅慣れていると思われて乗り継ぎ時間が僅か2時間。

飛行機は定刻どおりドゴール空港に到着したのだが、Kの荷物がなかなか出てこない。
乗り継ぎ時間が心配なので、ゲートの確認に行きたいところだが
おいて行かないでとすがるKを無下にはできず、やむなく三人で待つことに。

間もなくKのトランクは出てきたが、予想通り私とSのは出てこない。
Kのトランクだけ持って、想定外のタイムロスに、あわてて次は日本への航空会社の受付カウンターに。

施設内に電車が走っているような、日本とは桁違いに広いドゴール空港。
その真冬の空港内を、一人重いトランクを持つKは全身汗だくで息も絶え絶え。
時折、足元をふらつかせては立ち止まり、明らかに足手まとい。

そこのベンチに座って待ってればと言うが、おいてけぼりを恐れて付いて来る。
このまま、彼に気を取られていると取り返しがつかなくなりそうで、
やむなく気にしないことにして空港内を走り回る。

結局、広い空港内をぐるっと一回りしたが、どこにもそれらしきものが見当たらない。
時間だけが虚しく過ぎていき、途方にくれて、ふと外に目をやると見慣れたマークが目に付いた。

表に出ると、バス停らしきところに見慣れた日本の航空会社のマークと案内表示らしきものが・・・・
ひょっとして、ここから違う建物までバスで行くのか?

時計を見ると、まもなくタイムリミット
ここでしくじると取り返しのつかない時間

ひょっとして見落としたのか・・・
もう一度一回りするか、ここからバスに乗ってみるか

迷っていると、バスが来た。

よし。乗ろう

と乗り込むと・・・
出発してすぐにハイウェイのように立派な片側2車線の道に出て・・・
空港のフェンス越しに見える滑走路が・・・みるみる遠ざかっていく(T_T)

やっちまった!!!

まさか、これは市内行きのバス?

Kは車内にへたり込んだまま「ぜぇぜぇ・・・」言っている。

Sは暗い顔で「市内に着いたら上司に休暇の延長を電話しないと。。。」
「今日本は何時ですかね?」と尋ねてくる。

あきらめムードで、この後のホテルや振り替え便の手配をどうするか話していると...

一度は完全に視界から消え去った滑走路が見えてきた(ノ゚ω゚)ノ*.オオォォォォォォォー
しかも今度は尾翼に、見慣れた航空会社のマークをつけた飛行機も。

先ほどまでのあきらめムードはどこへやら
喜びのあまり叫びたい気持ちを抑えて、到着するや否や駆け出した。

何度か放送で呼び出したが現れず、心配していた航空会社の日本人スタッフに
安心の日本語で受付を済ませて、無事出発ロビーで一休み。

10数時間の機内では、旅の疲れでひたすら爆睡していたが。。。

途中エアポケットに入って機内が激しく縦ゆれした時は、さすがにびっくりして目が覚めた。
隣に目をやると、何やらKが真っ赤な顔で歯を食いしばっている。

そんなに怖がらなくても、と声をかけたら
「さっき、あまりに体が冷えたんで、熱いコーヒーを持ってきてもらったとこなんです。」

よく見ると、簡易テーブルの上にコーヒーカップが...

「ひょっとして、中身はまだ・・・」

「たっぷり入っています。」
「最初の衝撃でカップが10cmぐらい飛び上がってズボンにこぼれたので、あわてて手で覆ってるんですが・・・」
「今も揺れる度に中身が手のひらに(T_T)」

最後の最後まで、やらかしてくれたK君でした。


因みに私とS君のトランクは関空で無事受け取り、家路に着いたのでした。


シャモニ―⑦帰路ジュネーブ空港編

あっという間の3日間が終わり、いよいよ今日はシャモニ―に別れを告げて帰国の途に。

朝早く汽車?に乗ってまずはジュネーブに。
車窓から眺めるモンブランの山並みに名残惜しみながら一時間ほどで市内に。
まずは重いトランクを何とかしようと、空港でチェックインカウンターを探すが・・・・

どこにも見当たらない???
国際空港とは思えないほど小さな空港
見落とすはずが無いのだけど・・・

スイス航空やドイツの航空会社はあるが、肝心のエールフランスが見当たらない。。。
重いトランクをひきづって空港内を隈無く探すが何処にもない?

途方にくれているとSが何やら怪しい通路を見つけてきた。
空港の一番端にあった人一人が通れる程度の細い通路には、両端にライフルをかかえた警備員が行く手を遮っている。
Sによると先ほど明らかに一般観光客らしい人が入って行ったらしい。
どうするかしばし迷ったが他に行く道は見当たらず、このままこうしていても埒があかないので意を決して行ってみることに。

まさかいきなり発砲されることは無いだろうと言いながら、万が一に怯えながらおそるおそる侵入。
警備員は微動だにせず無事通過するも、その後も寂しげな通路が続く。

やっと出口と思ったら目の前に何やら金網のゲートが(゜0゜;)

そして、またもやライフルを抱えた警備員と厳しい表情の男女二人・・・
一瞬とまどったが・・・
ここであまり挙動不審に思われては身の危険と、覚悟を決めて進むとフランス語らしき言葉で話しかけられた。

当然、訳がわからず返事に困っていると、今度は英語らしき言葉で言われるが早口でとても理解できない。
もう一度言われたときに「パスポート」の単語らしきものが聞こえたので、
恐る恐るパスポートと航空チケットを出すと、手のひらで行っていいよの合図。

えっ!ひょっとして今のは出入国審査?
何と、国境沿いにあるジュネーブ空港は空港内がスイスとフランスに分かれていたのである。
そんなこととは露知らず、気づけばスイスを出国していた事に。

フランス側に入るとすぐにお目当てのエールフランスのカウンターが。
一安心して長い列に並ぶこと10分、隣に並んでいたKが先に受付に。
この流れは何やら、いやな予感。
そしてその予感は的中した。

真っ先に受付の順番が着たK
隣の列で二人分ほど後方に並んでいた私と、私の後ろに並んでいたSは固唾を呑んで見守っていると
トランクをカウンター脇の計量器に載せ、カウンター嬢と幾つかのやりとり。

当のKを含め3人とも意味はあやふやだが、おそらく荷物について申告物や危険物などの確認らしい。
Kはとにかくすべて「YES」で押し通すと不思議なほど順調に進んでいく。

最後の質問も「YES」と答えると、このときばかりはおかしな返答だったようで再度の問いかけ。
Kが答えあぐねていると・・・
三度目は我々にもはっきり聞こえるゆっくりした口調で
「シャルルドゴール オア キックス」と聞こえた。

これにはさすがのKにも解ったようで
すかさず「YES!シャルルドゴール」と満面の笑みで回答
するとトランクにシャルルドゴールのステッカーが貼られた。

どうやらトランクの行き先を聞かれていたようだ。
確かに行きと同じようにフランス経由で日本に帰るので、当面の目的地はドゴール空港。
それは間違いないのだが・・・
「キックス」って何のこと?
「経由」の意味か?
と考えてるとすぐ自分の番に。

まずは受付にフランス行きの航空券を取り出したその時
ふと目をかすめたもう一枚の航空券に「KIX」の文字が・・・・

こちらは確かフランスから日本への航空券
そこにシャルルドゴールの文字の次に「KIX」と書いてある。

ひょっとして「KIX」って「関西空港」のことか?

もしかしてフランスでトランクを受け取らず、直接関空まで運べるのでは?

後ろがつかえているのでゆっくり考えるまもなく、
ええーい!どうせトランクには洗い物と僅かばかりの土産物しか入ってないし。
と一か八か、トランクを指差し「to KIX」と答えてみた。

はたして・・・

カウンター嬢の「OK」の返事とともにトランクに「KIX」のステッカーが

後ろで注意深く見ていたSも、事の成り行きを即座に理解して同様の対応。
かくして無事チェックインが終わり、出発ロビーで隣に座ったSが小声で、
「KIXって関空のことですか?」
「Sが隣で嬉しそうにシャルルドゴールを連呼してたけど・・・」
「ひょっとして嵌めました?」

「いやいや人聞きの悪いことを言うなよ」
「隣のSのやり取りでふと気づいただけだし、まだどうなるか俺にもわかんないし・・・」

「えっ!どうなるか解らないって確信があったわけではないの?」

「まあ、関空について、もしトランクが無くても、日本なら何とかなるだろ」
「特に急ぐものや大事なものは入ってないしね」

「Kに言わなくていいんすか?」

「今は搭乗案内に集中して機内で言うことにしよう」

かくして、無事?ジュネーブ空港をあとにしたのだった。

ブログ29レマン湖のほとりで


シャモニー⑥

三日目続き

出足をくじかれたがゴンドラであがると、ゲレンデは降りしきる雪にふかふかのパウダー\(^o^)/
相変わらず雪は降り続いていたが、昨日よりは視界もよくだんだんハイテンションに。

リフトも順調で快適に滑っていると、コースのど真ん中にいきなり崖が・・・・
あわてて急制動し迂回して降りると、大きな岩が天然のジャンプ台を作っていた。

なかなかダイナミックなコースだなと見上げていると、
何やら見覚えのあるウェアのスキーヤーが結構なスピードで突っ込んでくる。

あのウェアはまさしくS!
彼はいささかも躊躇うことなくスピードに乗ったまま

飛んだ!

まさかの大ジャンプに周りのスキーヤーも驚きの声。
しかし本当にすごかったのはその後だった。
飛び上がってバランスを崩したSは、頭からまっさかさまに落ちていき
そのまま雪面に刺さったのだ((((;゚Д゚)))))))

一瞬「死んだかな」と誰もが思ったその時・・・
雪に埋もれていない下半身が元気に動き出した(≧∇≦)
何とか脱出しようとスキーを履いた両足が、漫画のようにじたばたともがく様に一同大爆笑。

近くのスキーヤー二人に両足を引っ張られ、雪から這い出した彼の元気な姿に周りから大歓声が。
昨日のひんしゅくをかったKとは正反対に拍手喝采を浴びることになったSだが、
本人はあまりの恥ずかしさに、昨日と同じように消え去りたい気持ちに。

どうやら雪で視界が悪い上にゴーグルが曇って、ぜんぜん気づかなかったらしい。

思わぬハプニングもあったがこの日は概ね快適で、リフト終了時間までスキーを満喫し、
ゴンドラ乗り場まで滑って下山。
帰りのバスに乗る頃には辺りは暗くなっていた。

シャモニー⑤

シャモニー3日目

この日も雪が降る中
昨日早く寝たので朝6時には目が覚めて、7時半にはバスに乗りこんだ。

目的地は又もやルトゥール村。
朝早く起きすぎたために、ついウトウトしてたら運転手のアナウンスで目が覚めた。
あぶないあぶない。
寝過ごすとこだったとバスが停車するとともに、やる気満々で飛び出そうとすると運転手が水を指すように話しかけてくる。

当然、何を言ってるのか解らないので適当に返事していると、段々口調が荒くなってくる。
何と無礼な運転手だと、いいかげん無視してバスを飛び降りた。
後から続くのはシャモニーで初めて見かけた日本人
(ホント日本人どころか東洋系に出会わなかった)のカップル。

他の乗客は降りてこない???
不思議に思いながらも一番乗りでゴンドラに向かうと、何やら昨日と雰囲気が違う。

ゲートに昨日は無かった張り紙が・・・
何て書いてるんだ?と解読しかねているとカップルの男性が
「どうやら大雪のため本日はクローズと書いてるようです」と翻訳してくれた。
続けて「バスが到着した時のアナウンスもそれらしいことを言ってた気がします。」

((((;゚Д゚)))))))

「えっ!じゃどうして降りてきたんですか?」と伺うと
「アナウンスの意味に自信が持てなかったし、我々が迷うことなく降りたので大丈夫かなと思って...」

いやいや、そこはもっと疑いましょうよ(・Д・)ノ

ということは降りしなに運転手がしつこく話しかけてきたのは、親切に教えてくれてたのか。
どおりで他の乗客は降りなかったわけだ。
と一同納得したときにはバスはすでに走り去っていた。

仕方なく次のバスの時間を見ると一時間後。
朝からの雪が次第に吹雪いてくる中、ふきっさらしのバス停で一時間はきついなと思っていると
彼女を心配した男性が「ちょっと、向こうのレストハウスを見てきます」と走り出した。

結果はどこもクローズ。
さて、どうしたものか。

このまま待つのは時間の無駄だし、じっとしてると寒さが身にしみる。
考えた結果、朝からやる気満々の我らは一つ手前のスキー場まで歩いて戻ることに。

昨日の遭難しかけたときと比べると、道路は適度な積雪でクロスカントリーにちょうどいい感じ。
カップルに別れを告げていざ出発。

はじめは順調に進んでいたが・・・
やがて積雪が途切れ途切れになり、板を履いたり担いだりの繰り返し。

一時間後、やっとグランモンテのゴンドラ乗り場が見えてきた時、背後から、嫌な気配が・・・
振り向くとバスがやってきた(T_T)

おかげで体はあったまったけど、単なるくたびれ損に。
複雑な気持ちで先ほどのカップルと再会したのだった。

ブログ31

シャモニー④

降り続く雪と、ブーイングの嵐に押し潰されそうになったその時、やっとリフトが動きだした。
物凄ーく待たされた気がしたが、時計を見ると実際は10分あまり。

かなり後方で一人待っていた私は、ブーイングから歓喜の声に変わったことに素直に安堵していたが・・・

一番先頭にいたSのプレッシャーたるや
「もし、ここでしくじると暴動が起きるのでは」
と、今までの人生で最大の緊張の中

まずはロープを掴んでバーに腰掛け動き出したその時
スタートのショックで腰からバーが(@゚Д゚)ア~~ッ!!!!!!

思わず「あっ!」と叫ぶと
周りは「あ」ではなく「オー」
続いて「ノー」や「マイゴッド」
これはヤバイ!もしここで彼らと同じ東洋人と気づかれるとどうなることかと、
「あっ!」からそのまま
「あっ~ぅぉ~ノー」と苦しいリアクション(¯―¯٥)
あくまで同じ欧米人のフリ・・・

しかし、Sは踏ん張った。
バランスを崩しながらも懇親の力でロープを掴みながら体勢を立て直し、Kのように倒れることなくそのまま登って行ったのだ。

バーに腰掛けることは諦め背中にバーを当て直してそのまま雪の中に消えて行った。
(実はこれが正しい乗り方。Tバーリフトは座っちゃうとやばいんだよね)

途中で腕が痺れて感覚がなくなってきても、
「Kの二の舞だけは踏むまい」
と頂上まで死にものぐるいでロープにしがみついていたらしい。

その後は順調に進んでいき、いよいよ次は私の番。
野沢や月山で何度か経験はあるが、それでも緊張しながら何とかクリアー。
確かに途中結構な斜度で腕と足にかなりくるが、無事頂上にたどり着くと吹雪の中Sが待っていた。
しかし、ここで日本語はやばいと無言で待つこと数十分
今度は無事にSが登ってきた。

Sがリフト降り場から数メートルのところまで来たときに、とりあえず二人でその場から離れて様子を伺う。
Sが無事リフトを降りて、こちらに気づいたことを確認すると、もう少し距離をとる。
Sが呼びかけても答えずに、時々ついて来ていることを確認しながら
等間隔を保って次のリフト乗り場へ。

辺りに人影がなくなってきたことを確認してやっと合流!
それでも口数少なく次のリフト乗り場まで下っていくと
リフトが動いていない(T_T)
視界が悪く気づかなかったがベンチ式のリフトはその大半が雪に埋まっている。

あわてて地図を確認し、先ほどのTバーリフトまで戻ろうとするが、だんだん雪が深くなり
やがて胸までの雪を掻き分け歩くことに...

視界もどんどん悪くなりホワイトアウト寸前
自分の手すらかすんで見えないほどに...

今度は遭難の危険を感じながらの雪中行軍。
何とか先ほどのTバーリフトまで戻ってきたときは三人とも疲労困憊。
相変わらずの吹雪と視界の悪さもあり、とてもこれ以上すべる気にはなれず
ゴンドラで麓まで降りて街に戻ったのだった。

2時過ぎにホテルに戻って着替えた後、
和風居酒屋みたいなところで、遅めの昼食を食べながら夕方まで飲んだくれて、
その後、街をぶらついて、この日は終了。

chamonix_piste3.jpg  84.gif


シャモニースキー③

2月17日

本日はシャモニー谷の一番奥、ル・トゥールまで足を伸ばすために6時に起床。
さっさと朝食を済ませて7時過ぎにはホテルを出てバスに乗り込んだ。

この日は昨日と打って変わって朝から大雪。

それでもバスの運転手は慣れたハンドル捌きで、途中幾つかのスキー場に停車しながら、
予定通りに終点ル・トゥールに到着したのは8時過ぎ。

ゴンドラ乗り場に行くと、まだクローズの看板が・・・

9時から運行と書いてあり、さすがにちょっと早かったか?
でも、誰もいないゲートに並んでいると雪も小降りになってきて...

「この感じなら、新雪に一番乗りだぜ」

とご覧の通りの上機嫌。

ルトゥール

ハイテンションで並んでいると少しずつ後続がきだして
予定通り9時にゴンドラがスタート!

ゴンドラで一気に上がって

「やった一番乗り!」

と思ったら、目の前のリフト(昔懐かしのTバーリフト)が動いていない(;゜0゜)

それでも乗り場まで行き係員に尋ねるが、当然よくわからないw( ̄o ̄)w

そうこうしていると続々と後続もやってきて同じような係員の説明に
落胆の声を上げながら後ろのレストランに引き返していく。

察するところ、昨日からの大雪でリフトの運行準備ができてないみたい。
でもゴンドラで降りないでレストランに向かっていることから、しばらく待ってれば動きそう。

それならば我々もとレストランに入ると、おいしそうなパンがずらっと並んでる。
朝食は食べたけど...
あまりにおいしそうなのでパンをいくつかとってカフェを頼むと
アルプスの情緒たっぷりのロッジで待つこと1時間。

あたりがざわめき出し慌しく外に向かいだした。
何事かと外に出るとリフトの周りに黒山の人だかりが。

「しまった!リフトが動き出したみたい。出遅れた!」

慌てて外に出てスキーを履き列に並ぶと5分ほどで動き始めたリフトに最初の人が搭乗。
この時2~300人の人だかりから大歓声が。

さすが欧米人。こんな時は感情表現が実にストレート。

このストレートな感情表現が違う形で数十分後には自分たちに向けられることになるのだが・・・

このときは、そんなことになるとは露知らず
周りにつられて自分たちも一人リフトに乗るたびに拍手喝采。

順調に列は進んでいくが、あまりの人ごみでバラけてしまい、K君とS君の二人が10mぐらい先行。
いよいよ、K君の番になったときに事件が起きた。

緊張の面持ちでTバーリフトのロープを握りバーに腰掛けて動き始めたその時、

バランスを崩したKは、そのまま転倒(゚д゚)

すぐに、ロープを離して退避すればいいものを
何を思ったのか、こけたままロープにしがみついて引きづられて行った。
ぅ(@゚Д゚)@。Д。)わぁぁぁ~~~~ッ!!!!!!

係員が飛び出してきて何やら叫ぶが・・・
彼はロープにしがみついたまま、どんどん引きづられていく。

50mほど進んだところで、やむなくリフトは緊急停止。

駆け寄った係員に助けられ何とか起き上がった彼は
それでもあきらめずリフトに腰掛けようとしたが、係員に制止され戻ってきた。

次に待つSの横まで戻って来て待つこと5分。
リフトがなかなか再開しない。(´・_・`)

どうやら急制動した為に、せっかく動き出したリフトに何やら不具合の模様。
最初こけた時はかすかな失笑程度だったが・・・

なかなか再開しないリフトに周りの雰囲気が明らかに変わりだした。
それでなくとも朝からレストハウスで待つこと一時間
やっと動き出したリフトなのに・・・
間抜けな奴のおかげで、この雪の中さらに待たされて
イライラがマックスになったその時

「Boo」と口を鳴らす音が・・・・

すると堰を切ったようにあちこちからブーイングの嵐!

外人って本当に「ブーイング」するんだなと思っていると
次第にそれだけに収まらず、足踏みまで加わりだした(゚д゚)

何かやばい!

数百人が足を踏み鳴らしブーイングする中で
これは「仲間だと思われてはまずい!」
と身の危険を感じた私は
すかさずフードをかぶりフェイスマスクを上げる。

Kも雰囲気を察したのか一番前でリフトが動くのを待っていたが、列から離れ後ろに消えていった。

どうやら横に並んでいたSはKが戻ってきて隣に来るなり
同じようにフードをかぶりフェイスマスクを上げ、
Kが話しかけても反対側を向いたままで返事もしなかったが、
ブーイングが始まるとKと視線を合わせないように反対を向いたまま小声で、
「後ろに行ったら」と何度もつぶやいていたらしい。

・・・・続く

シャモニースキー②

2月16日

昨日の移動の疲れから、ちょっと遅めの起床。
朝食後、早速ホテルからちょっと歩いたショップが立ち並ぶ通りでスキーをレンタルし
本日は街から一番近いブレバンスキー場に。

10分ほど歩いたゴンドラ乗り場から一気に標高2500mの頂上にヽ(≧∀≦)ノ

昨日までの吹雪が嘘のように晴れ渡った山頂からの景色に気分は最高潮。
いつもなら取る物もとりあえず滑り始めるスキー馬鹿の我々だけど・・・
あまりの景観に、ひとまずレストランでカフェを飲みながら景色を楽しむ余裕。

雄大な景色に満足したら
いざ滑走

寒さに締まった斜面は程よく整備され、思ったよりずっと滑りやすい。
天候にも恵まれ快適な滑走(^▽^)

時折リフトに乗っているときに
明らかに単なる崖のような斜面にシュプールが残されていることに驚きつつ
初日なので無理をしないで無難なコースを滑る。
いきなり怪我なんてシャレにならないからね。

4時前に下山し熱いシャワーで汗を流して6時過ぎに夕食。
スイス料理とワインを楽しんで、ほろ酔い気分で心地よく二日目が過ぎていった。

思えば今まで海外旅行の度に何かやらかしていたが・・・
今回は部屋の雨漏り以外は信じられないほど順調。
このまま何事もなくツアーを満喫できるものと思っていたが、そんな快適な旅もこの日までだった。

シャモニースキー①

スキーリゾート全盛の頃、日本のスキー場は行きつくしたと後輩二人を引きずりこんで
目指すはスキーヤーの聖地、モンブラン!

Windows95の発売と共に普及し始めたインターネットと翻訳ソフトを駆使して
少しでも現地で滑る時間を取るために往復フランス経由の格安ツアーで
冬季オリンピック発祥の地シャモニーに。

2月15日
海外旅行もすでに8カ国・6回目
ちょっとベテラン気分で朝早く伊丹空港を出発し、
成田経由でフランスに到着したのは現地時間で夕方の5時ごろ
そこからスイス航空に乗り換え、ジュネーブ空港に着いたのは10時過ぎ。
当然、電車もバスも止まっている時間だけどネットで予約していた送迎バンで
これもネットで予約したホテルに。

空港からホテルまで1時間ほどのドライブだが、真冬の雪道を深夜で車が少ないとはいえ、
信じられないほどの猛スピードで走るのに、ちょっとびっくり。
途中、国境の検問所もフリーパスで通過し無事ホテルに到着。

チェックインして早々に明日に備えて一休みと思ったら、ベッドが水浸し(´・_・`)
天井から雨漏りが。

いくら安宿とはいえ、こんな部屋に4日間はきついとフロントに行って
片言の英語で事情を説明し部屋を変えてもらうことに。

長旅から開放され、せっかく一息つけると思ったのにとぶつぶつ言いながら
代わりの部屋に案内されると、
そこでも、天井から雫が!

さすがにイラッとして深夜にもかかわらず、案内してくれた従業員に大声で文句を言うと...
何やらこの地域でも珍しい、ここ一週間の大雪で屋根の雪かきが間に合わず
どこの部屋も似たり寄ったりの状況と逆切れされる始末。

やむなくベッドが濡れていないのを確認して、その部屋で我慢。
長旅をようやく終えて、翌日に備え遅めの就寝となったのだった。